記憶①
何年か前の私のことを書きます。
私は元夫ともうやっていけない…と、そう確信した時はまだ子供たちも3人とも学生だったので、とりあえず『別居』という形で踏みとどまっていました。
元夫とは何がダメだったのか?と聞かれると、言葉にして説明するのは難しく…おそらく人に話してもうまく伝わらないと思うのです。
近い言葉で言うならば…なんというか…モラハラに近いものがあったと思います。
とにかく、人の気持ちなどは理解できる人ではなく、家族とは一緒に居たがる人だったのですが、
『家族を○○に連れてった俺』
『家族を買い物に連れてった俺』
が、好きだったのです。
自己満足してたと思います。
俺はしてやったぞ、みたいな。
思いやりとは程遠く、自分だけが大事な人でした。それは離婚した今も変わりません。
離婚になる前は別居(1年)→同居(1年)→別居(数ヶ月)→離婚
こんな流れでした。
最初の別居の時のことです。元夫は実家に帰ったのですが、長女が 高校に入学した時に制服姿を見せに元夫の両親に見せようと、入学式が終わったその足で私と娘二人で元夫の実家に行きました。
元義母は、娘に対して『入学おめでとう』よりも先に自分の息子が不憫だと娘に言うのです。
早起きして、お父さんにおにぎりとか弁当を作りなさい。お父さんを大事にしなさい。
…と。
言っておきますが、別居中でも私は元夫に弁当を作って渡していました。
義母は信用していなかったのでしょうね。
私のことはともかく…、子供にお父さんを大事にしろと言うなんて…。
本来なら息子に『家族を大事にしなさい』と、教えなければならないのでは?
と、思いましたね。
親がそんなだから息子も自分しか好きじゃないのですよ。
アホらしい。
別居したとたん、元義両親からはその年から子供達への誕生日のプレゼントもお年玉も無くなりました。
別居、離婚すれば孫でもなくなるんですねぇ。
元夫の父親が亡くなった時も、長女はお参りにいったのですが
『どうせ、お父さん(元夫のこと)に言われて無理やり来たんだろ』とあのクソババァ(口汚くてすいません)が娘に言ったらしいです。
息子が一番なのね。
そんなバカ息子可愛さに、孫を傷つけるなんて。馬鹿な人。
当時は涙が出るほど悔しくて、憎かったですね。
子どもを傷つけられるのが一番腹の立つことでした。
それにしても、、、可愛い息子はアンタに何をしてあげてるのかしらね?
してもらうだけの受け身の体勢は一生変わらないよね。
と、運転しながらボンヤリと思い出したことでした。
それなりに、大変さはありました。金銭面だったりとか。
今でもまだ少し。
だけれど、あんな人と離れたことはこれっぽっちも後悔はしていないのです。